=== ここは彩都町にあるたくさんの花と木に囲まれたルナカフェ・フォルテシモ。
”猫と月と桜”がモチーフの看板が目印のお店。
--- カランカラン
オシャレな扉についた呼び鈴が、午後の日差しを浴びて軽快な音色を響かせる。
扉は食事を終えた男性を見送った後、入れ違いに女性たちを招い入れた。
「いらっしゃいませー。あっ、優華ちゃんと小桃ちゃんだ♪」
キッチンから顔を出した美空は、微笑みながら常連客に手を振る。
背中まである綺麗な黒髪の女性は、モデルのようなスラッとした長身に似合うシンプルなシャツにジーンズというラフな着こなしで、ササッと入ってきた。その後をポニーテールの女性が小走りで追いかける。ブラウスにプリーツスカートという組み合わせで大人っぽい装いはしているが、小柄で丸みのある姿から自然と愛らしさがにじみ出ている。
「ど~も~」
「お邪魔します」
「家かよ!」
「いいでしょ、だってここ落ち着くんだもん」
両極端な身長差のある優華と小桃が漫才のような会話のテンポで入店してくる。
「うへへ、ありがとー。好きなとこ座ってよー」
“落ち着く良いお店”と褒められたと思った美空は、照れ隠しで変な笑い方になりながらも、接客をするためホールに出て水を汲み始める。
「ど~れにしよっかな~」
「いつ来てもすぐにメニューが決められないね」
フォルテシモでは、美空が思いつきでメニューをコロコロと変えるため、定番メニューはあるものの、来店するお客はその度に新しいメニューが気になって仕方がない。頻繁にメニューが変わる理由には、近所の農家さんが届けてくれた採れたて新鮮の野菜を使った料理だったり、フォルテシモの庭園で作られるハーブや食用花を使ったりと、その日その日の食材で"料理を思いつき"で作っているからだ。
しかし、この日は少しだけいつもと違うことがあった。
「あ、そーだ。今朝、じぃやが何か持ってきてねー」
と、レジ横に雑然と置かれている桐で作られた木箱を美空は徐ろに持ってきた。
「うわっ!高そうな入れ物」
「何が入っているの~」
二人も気品漂う木箱の中身に興味津々のご様子。
「じぃやが言うには、お父様からのプレゼントらしいんだけどー」
そう言いながら木箱を開けると、そこには・・・
「キャビアだ」
「キャ~ビア~」
「キャ・・・ビア?」
三人同時に異なるリアクションをされたキャビアは、木箱の中で神々しい光を放ちながら、桧もくめんで出来た布団に優しく包まれて梱包されていた。
「お父様ったらー、じぃやにわざわざ届けさせてー」
「初めてキャビアを見た!!」
「ゆ~かは見たことあるけど~、このキャビアはめちゃくちゃ高そうだね~」
それもそのはず、このキャビアはg単価1,000円の超高級キャビア様なのである。元モデルの優華でさえも、高級キャビアは見たことがあっても、ここまでの超高級キャビアは滅多にお目にかかれないのだ。とはいえ、これでもキャビアの中では四天王最弱。頂点にはアルマス・ペルシカスキャビアが君臨しており、その価値は・・・な、なんと!!g単価4,000円と、レベルも希少価値も段違いに高い。
「せっかくだから、二人にキャビアを使った料理を作ってあげるよー」
「「えっ、いいの?!」」
そういいながら、スマホを取り出す美空。
「でも、キャビアの料理は作ったことないから、Coakpadで調べるねー」
「「やった~!!」」
料理上手の美空が作る、キャビアを使った逸品が食べられることに歓喜して喜ぶ二人。そして、この数十分後に激しく愁嘆する。あの時に美空を止めていれば良かったと・・・。
=== 数十分後
「おっ待たせー。ブルーオマール海老と旬野菜のコンソメテリーヌ カリフラワーとパプリカのムースリーヌ仕立て キャビア添え。です」
「うわぁ、すごーい!!」
「うまそ~!!!では、さっそく」
「「いっただっきま~す。あむっ」」
((んっ?んんんーーーー))
期待に満ちたキラキラとした表情から一変、苦悶の表情で声にならない声が漏れ出す。
((こ、これは・・・まずい))
声を失い、見つめ合う二人。自信満々の表情で語りかける美空。
「どう?茹でると赤くなっちゃうのに、ブルーオマールも奮発して使ってみたんだー♪」
「う、うん・・・変わった~味だ~ね~・・・」
声を振り絞って誤魔化そうとする優華。
「そう?一応はそれぞれをレシピ通りに作って、組み合わせてみたんだけど?」
「味見はしてみた?」
小桃が確信に触れる質問をする。
「えっ、してないよ?」
見つめ合う優華と小桃。二人が同時にスプーンで料理をすくい、打ち合わせをしたかのように動きがシンクロする。
「「どうぞ」」
「あーむっ♪」
美空の口元にスプーンが差し出される。美空は躊躇なく両方のスプーンを口に入れ、そして悶絶した。
「んんんんっーーーー」
美空の口の中では、瞬間的に広がるパプリカムースの青臭さに続き、キャビアの塩気混じりの匂いが移ったカリフラワームースがふわっと弾けて鼻を突き抜け、舌には嫌味が残る。さらに裏目にでたのは、短時間で完成させるために冷凍庫で冷やしたコンソメテリーヌである。オマール海老と野菜の旨味が共に一体化させる前にゼラチンで急速に固めてしまったため、各々の個性を口の中で喧嘩するようにぶつかり合って主張してくる。固形物は容易に飲み込みにくいため、口溶けのよいムースリーヌの生臭さと青臭さをさらに持続的に味わうはめとなる。
「あはは~、すごい悶えよう」
“ほらみたことか”と笑う優華とは対照に、”大丈夫?”心配する小桃。
「はい、お水どうぞ」
「ゴクゴクゴクっ、ぷっはぁー」
美空はグラスに入った水を一気に飲み干し、グラスを勢いよくテーブルに置いた。そのままの姿勢で虚空を見つめ、どうしてこうなったのかを考える美空。瞬時に職人の顔に変わる。だが、美空は元々お嬢様。生粋の職人気質ではない。
普段の美空は”楽しみながら思いつきで料理を作っている”からこそ、生まれ持った感性で味付けされた逸品は、”何故か美味しくなってしまう”特殊スキルを持っている。それと同時に秘めていた美空の第二スキルが発動する条件がある。それは、”レシピを見ながらだと見た目はいいけど美味しく作れない”が、今回のパターンだ。
[[ 料理初心者ならば、一度はこんな経験があるのではないだろうか ]]
本などで料理の手順を見ながら作っていると、まるで後出しジャンケンをされたかのように、次々と用意していない食材が急に出てきて慌てた経験はないだろうか。あるいは、「予熱したオーブン?ま、いっか♪」と無視して、冷えたままのオーブンに入れて時間通りに焼いたら、見事なまでに失敗例のような半生で焼き上がった事。さらには、ひとつひとつ丁寧に手順を確認して作っていたら焦げ臭いのに気づき、慌てて鍋の様子を見に行ったがすでに時は遅し。そこには禍々しいばかりに黒々としたダークマターを生成してしまった事はないだろうか。
「まっずーい!なんでーーー!!!」
絶叫する美空。もう一度言おう。美空は”元々お嬢様”、今はお嬢様でもない。ましてや、職人でもない。
失敗した料理とはいえ、唯一の救いは見た目が美しいこと。難しい料理に初挑戦したにも関わらず、最終形態のダークマターを生成せずに済んだことは褒めてもいい。
美空は、レシピを調べ始めると”美味しそう×美味しそう=美味しい”と思い込み、初めて作る料理&料理+α(勝手にアレンジ)するため、見た目は綺麗なだけの不完全な料理が完成するのだ。
不思議と料理初心者によくあるあるなのが、作ったことのない料理なのにも関わらず「私って天才♪絶対これの方が美味しくなる!」と、勝手なアレンジや面倒だからと必要な手順を何も考えずに省く。
「おいしそ~なのに勿体ないよね~」
「小桃が頑張って食べるよ!」
つい「頑張って食べる」と言ってしまうあたりが小桃の素直で良いところなのだが、フォローにまったくなっていないあたりも小桃っぽい。
「えー無理しなくていいよー」
「ちゃんと食べるから大丈夫だよ!」
申し訳なさそうにする美空と小桃のやり取りを「やっぱりいつも通りだな~」と楽しそうに眺める優華。この穏やかさの中にある賑やかさが、美空の人柄が作り出す木漏れ日のように心地よいフォルテシモの日常。
--- カランカラン
美空の絶叫に呼び寄せられたかのように、フォルテシモの扉が再び軽快な鈴の音色を響かせる。鈴の音に反応して美空が接客スマイルに変わる。
「いらっしゃ?!ぐふぁあー!!」
入り口から美空に向かってピンクのふわふわっとした物体が勢いよく飛びかかる。
「お姉様っ!!やっと見つけましたわぁ!」
美空にまとわりついたピンクのふわふわの正体は、柔らかで華奢な体に淡いピンク色のロリィタファッションを身にまとった女の子。エアリーボブがよく似合う可愛らしい容姿をしている。美空が悶絶したのは、この子が弾丸の如く突っ込んだ一撃を全身で受け止めたためだ。
「ごほっ、ひっひっふぅー。し、詩織ちゃん?久しぶりー♪あれ?どうしてここに?」
「お姉様に会いたくて、旅をしながら探していましたの」
「「「たびっ?!」」」
「みそらん、この子は~?」
「えっとねー、この子はー」
「ワタクシは、お姉様の スーハー 大学の後輩ですーはーわぁ」
詩織がすーはーしながら、美空の説明中にかぶせてくる。
「な~んでクンカクンカしてんの?」
「詩織ちゃんは昔からこうなのよねー」
(スンススンスン)
無言で美空に抱きついて離れようとしない詩織。
「詩織ちゃんはいつも私の側にいるんだけど、何故か側にいない時でも不思議と近くに気配を感じてたのよねー」
「それって、スト・・・」
横目で小桃を睨みつける詩織。
「ま~さに、スト・・・」
それ以上は言わせまいと優華を睨みつけ、さらにシャーと威嚇する詩織。
「どうしたの?詩織ちゃん」
「ごほん、いやですわぁ。いつもお姉様のことを想って、お慕いしていただけですわぁ」
詩織は何事もなかったかのように、美空に抱きつき直して顔を埋める。
「クンクン、ごくりっ。あぁ、お姉様の匂い。相も変わらず、、、ス・テ・キ♡」
それだけ言うと、へなへな~と詩織は座り込んでしまう。
「詩織ちゃん。どうしたのー?」
「昨日から何も口にしておりませんでしたので、そのぉ、お腹が・・・」
“お腹が減っている?!” これ見よがしに優華が詩織に話しかける。
「これ食べなよ~。みそらんがさっき作った料理だよ」
「お姉様の!!貴女様は神様ですかぁ!」
(これはまた面白い子だな~)優華は不敵な笑みを浮かべつつ、詩織に美空が作った”例の料理”を皿ごと勧める。
「ちょ、ゆかち。確かに美空さんが作った料理だけど・・・」
「優華ちゃん、それは私の失敗・・・」
「しぃ~。あとね~、このスプーンはさっきみそらんが食べてたやつだよ~」
”カチッ” 何らかのスイッチが入った音がした。
詩織の目がギラリと輝きを放ち、確実に獲物を捉える。そして、彼女を人としてかろうじて保っていた最後の理性の欠片も、優華の一言で完全に消滅する。
「みそらんの手料理、いる?それとも、い」「ぃりますわぁ!」
おあずけをされ続けた犬が、ヨダレを盛大に垂らしながらエサに飛びついた。そんな表現がぴったりなほど、マナーのマの字もヘッタクレもない、まるで獣の如く豪快に勢いよく料理が飲み込まれた。そして、ひと口いれた瞬間に詩織の中で何かが弾け飛んだ。
「これがお姉様のお味・・・こほっ。ひと口でお洋服がおはだけしそうな破壊力ですわ!」
先程の勢いはどこへいったのか、鉄壁の試練の皿に対して、次の一手をどこから出せばいいのか攻めあぐねてしまい、詩織の手が完全に止まった。これが詩織最大の悪手となる。
【ブルーオマール海老と旬野菜のコンソメテリーヌ カリフラワーとパプリカのムースリーヌ仕立て キャビア添え】には、各々の個性を口の中でぶつけあって主張する固形物の多段攻撃により、ムースリーヌの無機物による生臭さと青臭さを持続的に与え続けるステータス変化の属性攻撃を繰り出してきた!
「うぷっ、食べたいのに手が・・・ぐぐぐっ、どうしてワタクシの手は動かないですか?!」
「無理しなくていいよ詩織ちゃん」
「無理では・・・長旅で疲れた手が動かないだけですわ。一滴も残さずに完食いたしますわぁ「はいどうぞ~」ぱくっ。」
優華が詩織の手を掴み、そのままナイスアシストで詩織の口の中へオンゴールを決めた。
「ワタクシの初めての共同作業が・・・ぐふっ」
詩織は最後に意味深なことを言うと膝から崩れ落ち、ぱたんっと床に座り込んで動かない。
「詩織ちゃん!」
「詩織さん!」
美空と小桃がこの状況どうするの!といいたげな瞳で、優華に視線を移す。さすがにまずかった?と少しだけ反省する。
「お~い、しおりん?大丈夫か~?」
「ゆかち!大丈夫かじゃないでしょ!」
「詩織ちゃん、お水飲んで」
美空の声に反応して、先程まで色を失っていた詩織の瞳に再び色が宿り始める。
「こ、ここは、どこですのぉ。あっ、おねえさま?お姉様!!やっと見つけましたわぁ!」
「ぐふぉわぁー!!」
意識を取り戻した詩織がイキイキとした飛び魚のように跳ね跳び、美空のボディーへダイブする。
「あれ~、思ったよりも元気そう。それにしても、さっきも見たような光景だね~」
「もしかして、詩織さんはさっきまでの記憶がない?」
「??? 初めましてですわぁ、お姉様の後輩の町岡詩織ですぅ」
「詩織ちゃん大丈夫?」
「はぁい♪ 詩織はお姉様がいれば、いつでもどこでも大丈夫ですぅーんすんすん、懐かしいお姉様の匂い・・・」
「もぉー、詩織ちゃんの甘えん坊なところは相変わらずだね。ちょっと片付けしてくるから、席に座って待っててね」
美空はそういうとキッチンの方に戻っていく。
「はい、お姉様。いつまでも待っていますわ!」
“はいはい”と後ろ向きのまま手を振る美空の後ろ姿を凝視する詩織。
「と、とりあえず、みんなで座ろうよ」
「そ~だね、しおりんもこっちへおいで~♪」
平静を取り戻そうとする小桃とは別に、面白いものを見つけたとばかりに詩織を誘う優華。
「わかりましたわ」
しおりん?と思いながらも、自分のことだと認識してテテテッと二人についていく詩織。
そして、通された席には、先程の料理【ブルーオマール海老と旬野菜の ~以下略~ 】が待ち構えていた。
「あ、その席は「しおりんはお腹ぺこぺこ~でしょ。みそらんの料理食べてもいいからね」」
「ちょっと、ゆかち!それでさっき大変なことになったでしょ!!」
あれ~そうだったっけな~と、とぼけて吹けない口笛を吹く真似までする始末の優華を横目に、どうなっても知らないよーと目で訴える小桃。
そんな二人のやり取りをまったく気に留めず、“ワタクシ”にとってのご褒美を[食べるべきか or 持ち帰るべきか]の間違った二者択一に悩む。
(そもそもこの料理は、残念ながらワタクシのために作られた料理ではないのですね)
「ワタクシのために作られたご褒美にするためには、どうしたらよいのかしら・・・」
「え、詩織さん何か言った?」
詩織の心から漏れた声を聞き逃した小桃。しっかりと聞き取ってニヤリと微笑む優華。
「そのスプーン。さっきみそらんが口つけたやつ「お姉様の味!!」だよ~」
(何を悩んでいたのかしら、食べるか持ち帰るかではなく、答えは[今すぐ食べる]しかありませんでしたわ。一分一秒と無駄にできない状況で、ワタクシったらスプーンから損なわれるお姉様の味を風化させるなんて!タイムマシーンがあったら、数秒前のワタクシをひっぱたいてやりますわ!)
詩織の考えがまとまるまで、わずか0.1秒。人智を超えた速度で脳内会議が終わり、優華の言葉を遮るよりも早く神速で動く手には、すでにスプーンが握ぎられていた。
「いただきますわ・・・はぁふん!」
そのスプーンには、もちろん料理は何も乗っていない。詩織はただスプーンだけを味わっていた。
「・・・・」
何事が起きたのか理解できず、処理速度が追いつかない小桃は声もでない。逆に想像以上の詩織の言動にくくくっと笑いをこらえながら優華が呟く。
「記憶を失う前に一度、しおりんが一口食べた後のスプーンなんだけどね~」
優華の声は届かず、しばらくスプーンの味を堪能する詩織。小桃は思考が停止したまま動かない。
「お~い、もこたん。息はしてるか~」
小桃に向かって手を振りながら呼びかけても反応がない。ただの小桃のようだ。
優華は小桃を放置して、再び詩織を観察することにした。ちょうどスプーンを堪能した詩織が動き出す。
さっきまでの奇行とは裏腹に、詩織の周囲には気品ある雰囲気が漂い、まるでお嬢様のような仕草で静かに料理をスプーンですくう。そのまま呼吸するかのような流れる動作で料理を口へ運ぶ。詩織の優雅な姿に一瞬で見惚れてしまった優華だが、すぐに詩織の異変に気づく。
(あれ~目が見開いてる)
再び同じ動作で口まで料理を運び、さらに早く口へ運び、さらに加速して口へ運び、ついには残像が見えるほどの速さで次々と口まで運び、一心不乱に食べる。思わずズッコケてしまう優華。
「あたっ。あれ~、一瞬だけお嬢様に見えたんだけどな~」
まさにさっき見た、気品ある詩織が本来の詩織の姿。名門お嬢様学校では、多くの後輩からも親しまれるほど、お嬢様らしいお嬢様なのだが、“美空成分”が入るとお嬢様らしさは微塵も感じなくなる。それでも、奇跡的にお嬢様らしい一面がでたのは、日頃から体に染み付いた教養の賜物だ。
「ぱくっ、あむあむ、ごっくん。ぱくっ、もぐもぐっごっくん。ぱくっ、もぐごっくん。ぱくっ、ぱくっ、、、」
味わうこともなく、次々と口から胃まで直通で通されてしまったため、ブルーオマールたちの多段攻撃は繰り出すこともなく、どんどんお皿から料理が消えていく。
スプーンだけを先に味わう特殊行為でトリップしていたためか、記憶は失っても危険な味として、味覚をシャットダウンするように脳内メモリーが記憶していたためか、詩織は無事に完食する。
料理を食べ終えたお皿を見て名残惜しそうにするが、ふと何かに気いて笑顔になるが、お皿には綺麗に食べ終わって残ったエビの殻とソースしかない。
「すごく綺麗に食べたね~」
先程まで詩織乱舞を繰り広げたお皿とは思えないほど、優華が言うようにお皿には綺麗に食べ尽くされたエビの殻だけが残っていた。
「くわっ!カフッ」
次の瞬間、お皿を上からエビの殻が消えていた。
まさにカワセミが魚影から魚を捕まえる時のような、一瞬の出来事が目の前で繰り広げられていた。
スーパースローで確認しても、詩織が前のめりになると同時に大口を開けたところまでは確認できるが、その後はシュッと残像が出る速さでお皿につんのめり、次の瞬間には元の姿勢に戻ってエビの殻はお皿の上から完全に消失していた。
衝撃的な出来事に意識が戻ったばかりの小桃から、声にならない悲鳴が漏れる。
「ふひぃえぇー!」
「おお~そうきたか~」
詩織は鳥のように首を上下左右と動かしながら、バリボリ殻を食べ始めた。
「バリバリバリ、ボリボリボリ」
ASMRにしたら良い音源になるくらい、ある意味では心地よい咀嚼音が徐々に小さくなっていく。そして最後は上を見上げ、ペンギンのようなポーズで喉を鳴らして飲み込んだ。
「ごっくん。ぷはぁ~」
食べた食べた~と満足気な詩織が何かに気づく。
「ワタクシとしたことが、食べ残しをするところでしたわ」
「はぁ~?」
これにはさすがの優華も小桃と同じように唖然としてしまう。これ以上、その皿には何が残っているというのか。
詩織は両手で丁寧に優しくお皿を顔の高さまで持ち上げると、まるで恋する乙女のような瞳でお皿に残ったソースを愛おしそうに見つめる。
「ま、まさか、詩織さん!」
「そこまでやっちゃうか~」
詩織はちょろっと可愛らしく舌なめずりをしてから、豪快にお皿をひと舐めで円を描くように舐めあげる。
「ぺーーーろりっぢゅぱ♪ ご馳走様でしたわ♫」
ほくほくとした表情の詩織とは真逆にドン引く優華と小桃の間には、同じテーブルなのに別次元の入り口が存在しているかのような温度差が生じている。
試練を無事に乗り越えて愛の証明を成し遂げた詩織は、夢見心地で目を閉じたまま惚けている。
同じ試練を乗り越えることができなかった、破壊力抜群の料理の味を知る小桃は、恐る恐る詩織に話しかける。
「おめでとう?全部食べちゃったけど平気?」
「見事な食べっぷり!褒めて遣わそ~ぞ♪」
声をかけられて夢から目を覚ましつつ、褒められた理由が皆目検討もつかず困惑する。
「ぁ、ありがとうございますわ。え~と、、、」
戸惑う理由を察して、小桃が名乗りだす。
「そういえば、まだ名前を教えてなかったね。私は橘小桃。で、こっちが」
続けてと、手の平を差し出して優華に振る。
「ゆ~か」
「おいっ!」
きょとん、とする詩織。
そりゃー詩織さんはきょとんとするよ!と、小桃は思わず優華に差し出した手のひらを水平から垂直に変えて、いつものようにツッコミそうになる感情を押し殺した。
「詩織さんごめんね。こっちは水無月優華だよ。ゆかちは大人なんだからしっかりしてよね!」
ぷんぷんしている小桃とケラケラとしている優華のやり取りを見て、”羨ましいですわ”と詩織は微笑ましそうにする。
椅子を引く音を出さずにすーっと席から立ち上がり、一歩下がってから姿勢を正すと、スカートの裾を軽く持ち上げた。
そして、お嬢様らしくカーテシースタイルでおじきをする。
「橘様と水無月様ですわね。改めまして、町岡詩織と申します。お姉様と仲睦まじいご様子でしたので、ワタクシのことは、詩織、とお気軽にお呼びくださいませ。」
フレンドリーでも大丈夫だったでしょ~と言いたげな優華が、勝ち誇ったような表情で小桃を一瞥してから、詩織の方に向き直る。
「ゆ~かでいいよ~。しおりん♪」
急に抱き寄せられたかような優華の0距離砲に少し照れながらも、詩織は親しみある接し方が嬉しく、胸が熱くなる想いから自然に胸元で手を合わせて祈るようなポーズで精一杯答えようとする。
「それでは、ゆ、、、ゆーか・・・ちゃん、と呼ばせていただきますわ。」
そして、小桃の方に懇願するような視線を向ける。
私も!と乗り出そうとする小桃と目線が合い、お互いの想いが通じていることに安心して「ふふふっ」と笑い合う。
「私も小桃、、、じゃなくて。私も小桃ちゃんでいいからね」
にこっとおしとやかに笑う詩織。
「はい、こももちゃん」
自分で“ちゃん”付けでお願いしたのにも関わらず、いざ言われてみると急に気恥ずかしさが勝ってしまい、思わず詩織から目線を外す。外した視線の端には、憎たらしいほどニヤニヤする優華の顔が見える。
(ゆかちー、後で覚えていなさいよ!)
可愛らしい小桃の表情から怒りがこみ上げ、むくれていく。しかし、すぐに表情は元に戻る。
「ここで、いつもみたいに怒ったら、いつも通りゆかちのペースになっちゃう!詩織さんの前で大人として恥ずかしいところを見せないように、毅然としないとダメ!しっかりしなさい小桃」と、我に返る。
(スマイル♪ スマイル♪)
視線を戻すそうとすると、全てを見通していたかのような詩織が、微笑みながら小桃を見ていることに気づく。
(ふわぁあああーーーもうだめだーーーーー。急に今までのことが全部恥ずかしくなってきちゃった!!!)
顔から火が出そうになって両手で頬を抑えるが、体中が燃えるような熱さで火照ってしまっては、手で覆ったくらいで小桃の真っ赤になった顔を隠しきれない。
「もぉーゆかちのばかーーー!!!」
やはり、大人ぶってもいつも通りの小桃は、いつも通り優華にからかわれてしまう。
優華の笑い声につられて、詩織からも自然に笑い声が溢れ出る。
いつもと同じ、いつも通りのにぎやかな客席から聞こえる笑い声が心地良く、美空は片付けが終わったキッチンから客席に出てくる。
「あれー、もうみんな仲良しになったんだね」
詩織は美空の声に反応して慌てて座り直し、おしとやかに振る舞おうとする。しかし、先程まで笑っていたことも相まって、お姉様の声に反応して顔はにやけているため、上品さは格段に損なわれる。
テーブルまできた美空は、お皿からダークマター料理の形跡が完全に消失していることに気づく。
「あれ?海老の殻はどうしたの?」
「もちろん食べましたわ。お姉様の作った料理を残すなんて勿体ないですもの」
自信満々に答える詩織はどこか誇らしげだ。呆れた表情の優華と小桃。
美空は殻まで食べることを想定して料理ではなかったため、少し考えてみる。
---オマール海老の殻は硬く、包丁を入れる時も角度を付けて力を加えないと、女性の私にはうまく切れない。
アメリケーヌソースを作る時は、オーブンで殻を焼いてから香味野菜と煮込んで、殻ごと砕いて搾り取ったものをエピスのベースとして使う。
今回の料理はロティしてから、仕上げにサラマンドルにかけたから加熱処理は問題ない。うん、火入れは完璧だ。
それならば殻は砕けば平気?いや、アメリケーヌでも砕いた後の殻は捨てちゃうし、食べたりはしないもんね。やっぱり殻は食べたらいけない!
違う。今問題なのは、本当に殻を食べたのかだ!優華ちゃんもいるし、もしかしたら私にドッキリを仕掛けようとして・・・。ううん、小桃ちゃんもいるし、詩織ちゃんとも今日が初対面なんだから、さすがにそれはないよね。
やっぱり、そうなると考えられることは、ただ一つしかない。もう認めるしかないのね。
詩織ちゃんは殻を噛み砕くだけの顎の力の持ち主だった・・・ということ。
これなら真相はシンプルなる。だとすると、その強靭な顎で殻がしっかり砕かれていれば、お腹に入っても平気なのかが残った問題ね。
本当にこれだけで事件は解決するの?!何かを見落としているのかも!そもそも・・・・・・・・・
---そのうち美空は考えるのをやめた。
何かを考えている美空を見て小桃は、あることを思い出して詩織と美空に疑問を投げかける。
「そういえば、詩織さんは美空さんを探して、旅をしていたっていってたよね?電話とかしなかったの?」
ハッとして慌てて美空から目線をそらした詩織は、うつむいて何も言わない。
そんな詩織の様子に気づけない美空は、思い出しながら根本的なあることに気づく。
「詩織ちゃんから電話とかなかったよね。あれ?そういえば、電話番号って教えてたっけ?」
唖然として優華と小桃は口をあけて声も出せない。うつむいたまま首を振って何も言わない詩織。おかしいなーと笑って誤魔化す美空。落ち着きを取り戻した優華が確認する。
「みそらん、こ~んなに懐いているしおりんに、電話番号を教えてなかったの~?」
私が私にその質問をしたかったと思うほど、美空も詩織に番号を教えていない理由がわからない。わからないから理由を考えてみる。
「んー、詩織ちゃんは待ち合わせとかしなくてもいつも近くにいたから、電話番号もちゃんと教えてると思ってたんだよね」
テーブルに手をつき、反対側にいる詩織に近づくように前のめりになっ民空は、しっかりと声を気持ちを届けるために詩織に顔を近づける。
(家出してからすぐにお店をオープンして忙しかったとはいえ、詩織ちゃんは旅をしてまで私を探しに来てくれたんだ。これは完全に私が悪い。)
「本当にごめんね、詩織ちゃん」
無言になってしまった詩織から、やっと呟くような声がもれる。
「すんすん、お姉様の匂い・・・」
ハッとして顔を上げる詩織
「ぅっ、、、」
間近に迫った美空と視線が重なり合う。潤んだ美空の瞳に飲み込まれて息をすることすらも忘れる。
(お姉様のか、顔が、ち、近いっ!)
詩織からアプローチを仕掛けることは数え切れないほどあっても、美空から詩織に対するアプローチの中では、過去を思い返してもトップ3、いやトップオブザ・トップともいっても過言ではないくらいの至近距離に美空の顔があった。
美空の心がこもった謝罪の声はしっかりと詩織には届かず、真っ赤にして火照った体から蒸気と供に邪な感情も吹き上がる。
(ワタクシが“間違って”あの時に立ち上がっていましたら、お姉様とキキキッ、キッスも・・・間違って?間違えての接触事故でしたらノーカン!罪にはならないですわねっ!)
「お姉様は何も悪くないですわ!」
(ワタクシの迫真の演技で、誰も中腰に姿勢を変えたことに気づいていませんわね。これで徐々に距離を詰めることができますわ。)
「悪いのはお姉様から番号を聞かなかった・・・そう!ワタクシの方・・・です・・・わ」
間違えての接触事故であれば、確かにノーカンの判定が下るケースも多い。とはいえ、座ったままでは届かないからといって、中腰に構え直してまで射程距離を伸ばすことで、間違えて事故を起こそうとする行為は、ただの確信犯でしかない。
(お姉様の息遣いまで聞こえてしまうのですから、きっとワタクシの高鳴った心臓の鼓動まで聞こえてしまっていることでしょう。)
一方、当の鈍感主人公体質ヒロインである美空には、確信犯の行動も(きょとん?)とするばかりで、美空にはまったく気づかれない。
「はわわぁ、詩織さんと美空さんがキスしちゃうよ・・・」
「わぁ~お、しおりん大胆~」
ガヤからの声が詩織には聞こえることはあっても、鈍感ヒロインにはこのような声は決して聞こえない。
(外野がうるさいですけど、このまま、、、このまま?、このままキスして・・・お姉様と・・・ついに?!)
最初は噂のお姉様との妄想から始まり、同じ学園に入ってからは遠巻きに見守るだけのお姉様との距離にまでなった。そして、後輩と先輩という間柄でも話をできる距離になり、ついには想像したことが実現する距離にまで近づく。
この瞬間を何年も待ち望んだ事か・・・。あと数秒後には実現する距離になる。ここまできたら考えることすら煩わしい。
(お姉様とああ儘よ)
「詩織ちゃん顔が赤いけど大丈夫?熱でもあるの?」
---コツン
「ほぇっ?」
いつも通りにアプローチしている分には耐性もある詩織だが、美空からのアプローチには耐性0の詩織は、額と額をつけられただけで臨界点を突破してしまった。
詩織からぷしゅぅ~と蒸気が抜け、へなへな~と縮むとスライムのようにとろけた。
「ふわぁ~あぁ~~~」
何とも情けない声を漏らし、液状化したままテーブルの上を漂う。さすがにやりすぎたかな?と思った美空は、「あらあら、うふふ」と、彩都町よりも水の都が似合いそうな笑い方で場の雰囲気を流す。
詩織の火照りに当てられた小桃も頬を染めながら、百合フィールドが解除されたタイミングを逃さず、雰囲気を変えようと質問をする。
「どうして詩織さんの方が悪いと思ったの?」
(ぐへへぇ~)と変な声が漏れる詩織スライムは、小桃からの質問で元の姿に戻りながら席に座り直すと、急にもじもじしだす。
「それは・・・お姉様の香りを辿れば、どこにいてもすぐに見つけられましたので。その~、電話をする必要がなかったからですわ・・・」
「ごほっ」
変化球どころか暴投球を投げ込まれ、一息つこうとして飲みかけた紅茶を優華は豪快に吹き出してしまう。
「ゲホゲホッ。香りを辿ればって~」
「ちょっとー、ゆかち大丈夫?」
「文明の利器がなくてもゴホゴホッ、居場所がわかっちゃうしおりんはすごいね~」
小桃から渡されたハンカチで口を抑えながら話を続ける優華。
「まるでストー「ワタクシとしたことがっ!」」
キッと優華を睨みつけると、言葉を遮って何かを誤魔化すように大げさに語りだす。
「いつでもお姉様に会えると思っていましたの。それなのに、東京から急にお姉様の香りがしなくなって流石に焦りましたの」
詩織の嗅覚センサーが広域すぎたことに唖然とする優華と小桃に対して、さもいつも通りと何事もなく美空が詩織と会話のキャッチボールをする。
「あー、たぶん私がちょうど家出した時かな?」
「「家出っ?!」」
話についていけなくなっていた優華と小桃が声を合わせ、わかりやすい単語にすがるように喰らいついた。
(懐かしいなー)と虚空を見ながら美空が今度は語り始める。
「お父様と喧嘩して家を出た後、桜ちゃんを頼って彩都町に来たんだった」
知らない女の名前に反応して、詩織から黒いオーラが発生する。小桃は新しい話題に興味津々で、地雷に気づかずスイッチを思いっきり踏み込む。
「桜さんとはずっと前から知り合いなの?」
「桜ちゃんって・・・・だぁれ、ですの・・・」
意気揚々と話す小桃の声に呟くような詩織の声はかき消される。にこやかに小桃の質問に答えようとする美空。さらにその様子を遠巻きに外野見学している楽しむ優華のカオスな構図が完成した。
「私が高校生の時『高校生』からの付き合い『付き合い?』だから、出会ったのは5年以上前になるね」
回想に入っている美空は気づかずに会話を続けるが、美空の声に続いて復唱されるドス黒い声が聞こえた。黒いオーラに包まれた詩織の声が聞こえた小桃は、やっと地雷を踏んだことに気づいて(ひぇー、ゆかち助けてよ)と泣きそうになる。
「東京の地元でしつこいナンパに困っているところを桜ちゃんが助けてくれたんだよ」
『ナンパ・・・JKのお姉様をナンパ・・・・』
---ガタッ
より一層の黒いオーラを纏った詩織がついに立ち上がる。
「でも、何も言わず『何も言わせず』にそのまま去って『連れ去って』いっちゃうから、連絡先もわからなくて・・・」
闇落ちしてダークピンクと化した詩織は、まるでラスボスの最終進化ようなオーラを吹き出しながらフラフラと揺れだす。ダークピンクは、美空の声ですら正常に理解できなくなっているようだ。
「だけど、どうしてもお礼を言いたかったから、じぃやにグラップラー群馬を調べてもらったんだよ」
ダークピンクからオーラが消失。謎の単語に混乱して言葉を失う3人。
(((ぐらっぷらーぐんまってなに)))
「ナンパしてきた人が桜ちゃんを見て、「やべぇー、あの特攻服は二代目グラップラー群馬だ」って言ったのを覚えていたけど、それだけの情報では誰かわからないだろうなーって諦めてたんだ。」
(グラップラー群馬を調べてって言われても見つかるわけないよ)と、同意しつつも相槌は何もなく、無言のまま話の続きを聞く3人。
「でもね、じぃやが『グラップラー群馬ですか、これまた懐かしい響きですな~。二代目の話は聞き及んでおりませぬが、初代なら知り合いの伝手で存じております。すぐにでも部下を使いに向かわせますのでご安心を。』っていうからビックリしちゃったよ。」
「私たちがビックリだよ!!みそらんのじぃは何者~?」
首がもげる勢いで相槌をする小桃。一方の詩織は首を傾げ、「執事長様は西園寺家に長年仕えているのに、群馬事情にも詳しいのかしら?」と不思議そうにする。
「途中からおかしくなったよ~な~。もう今日は情報量が多すぎ~。ゆ~かは考えるのをや~めた」
「そ、そうだね。」
話についていけない二人は話を終わりにしようとするが、詩織だけは不安そうに話の続きを聞こうとする。
「お姉様・・・その桜様は、今、どちらにいらっしゃるのですか?」
にこにことしながらそれがねーと答える。
「ここの近くに住んでいて、職場も近いからよくランチの時間に来てるよ」
「なんですってー!」
思わぬ伏兵が領内まで攻め入っている状況に焦り、両手で頭を抱え対策を練る。
(このままではお姉様の貞操が・・・)
「ふぅぬぉあ゛あぁ、、、そーですわぁー!お姉様の他に従業員はいらっしゃらないのですか?」
ビクッとする小桃と優華はさておき、何事もなく美空は詩織からのボールをキャッチして、丁寧にボールを詩織に返す。
「うん、他にはいないよ。私一人だけだよ」
(ギュピィーン)ピンクガーディアンが眠りから醒める起動音がした。
守護神となるべく詩織が立ち上がり、先程の美空のように机に前のめりになって、、、というよりも身を乗り出してテーブルの上に乗りながら提案をする。
「それでしたら、私に何でもいいのでお手伝いをさせてくださいませ!」
目をキラキラと輝かせる詩織。
「私一人でも大丈夫だったから、少し考えさせて」
詩織の瞳から色が失われ、不安から憐憫の眼差しに変わる。
そんな詩織の変化を見て、一息いれてから美空は返答する。
「よしっ!詩織ちゃんなら安心だからいいよ♪」
詩織の目がパァーッと爛々と輝き出す。
美空の詩織に対する返答は、実は最初から決まっていた。
本当は、詩織がここまでして自分に会いに来てくれたのがとても嬉しくて、もっと一緒に今までの事も話したいし、これからも一緒に働きながらいろんな話ができたら楽しいだろうなーと思って、キッチンの片付けをしている最中もどうやって美空の方から詩織を誘おうか悩んでいた。
本当は詩織から提案された時、トクンっと胸を打つ感覚があって、思わず即答しそうになってしまった。しかし、先輩としてのプライドがちょっぴりだけ邪魔をして、すぐにOKしなかった。さらに、ちょっとだけ意地悪をしたくなってしまったのだ。しかし、捨てられた子犬のように不安な顔に詩織をさせてしまったことに胸が苦しくなり、一息いれてから返事をしたのだった。
「詩織ちゃんは相変わらず可愛いねー」
思わず思ったことを口にして、美空はハッとなり慌てて口元を抑えて顔を赤らめる。
そんな美空を詩織が見逃すはずもなく、嬉しさのあまりにテーブルの上からダイブして美空に飛びつく。
「お姉様ーーー!大す、、、す、すんすん、お姉様の匂い大好き!」
勢いに任せて告白しようとしたが、どさくさに紛れて美空の胸に飛び込んでしまったため、欲望が打ち勝って美空の匂いを嗅ぐいつも通りの行動をする。そして、フレーズの順番を間違えたため、変態行為の告白をする羽目になる。
「よしよし、イイコイイコ。詩織ちゃんは相変わらずだね」
これが数年たっても変わらない美空と詩織のいつもの日常。その光景を見て、苦笑いしながら優華は小桃に話しかける。
「安心ってなんだろうね~」
同じく苦笑いをしながら答える小桃。
「まー、女の子同士だからいいんじゃない?」
女の子同士というフレーズに、詩織は何かを閃き目を輝かせる。飛び込んだ位置から見上げたため、自然と上目遣いになる。
「お姉様を探しに出る時に家を引き払ってしまって、、、その~、住む家がなくて、、、」
なーんだ。と、何も気にせず、美空は先程のように意地悪はせず即答する。
「それなら、私の家に空いている部屋があるから使っていいよ」
「っっっっ(キャーーーー勝った!完全勝利ですわ!!!)」
美空の胸に再び顔をうずめて左右に動かしながら、テンションMAXのあまりに詩織は、美空の名前を連呼するだけのただの変態と化す。
「お姉様!お姉様!お姉様~!!」
よしよしと詩織の頭を撫でる美空の手は徐々にゆっくりと動かされ、動きに合わせて詩織は落ち着いていく。
そして、詩織は思いっきり息を吐き、思いっきり息を吸う。そう、深呼吸ならぬ深呼嗅である。
「はぁ~~~すぅぅぅぅぅぅぅ、、、お姉様ぁーーー!!」
またテンションMAXで美空の胸に顔をうずめて頭を振りだす。(困った子だなー。数年ぶりだから仕方ないかな)と、美空は詩織の背中をトントンしながら優しく話しかける。
「あとで部屋まで案内するから、休憩時間まで待っててね。」
わかった?という表情で詩織を見る美空。顔をあげて、潤んだ瞳のまま笑顔で答える詩織。
「はい!わかりましたわ!」
落ち着いた様子の詩織を確認してから、美空は二人に挨拶する。
「それじゃあ、優華ちゃんも小桃ちゃんもゆっくりしていってね」
そういってキッチンの方にいく美空の後ろ姿を詩織は確認してから振り返り、お嬢様らしかぬガッツポーズをしながら声を押し殺しながら言い放つ。
「ついにやりましたわ~!!!」
そんな一部始終を目の前にいた優華と小桃に、真正面から見られていたことに気づく詩織。
「コホンっ、ワタクシとしたことが恥ずかしいところをお見せしましたわ。オホホホッ」
呆れた様子で小桃に優華は話しかける。
「オホホ~って。いやいや~恥ずかしいというよりもね~」
なんかすごいものを見せつけられたという、唖然とした表情のまま小桃が再び地雷原に突入する。
「すごい執念深いというか、まるでスト「シャー!」」
言葉に反応して、両手を上げた構えで威嚇する詩織。ビックリして優華の後ろに避難する小桃。マングースと蛇の構図より、モルモットと大蛇のような構図が完成する。
「ひゃわあぁあああ」
怯える小桃にそのポーズのまま、わざとらしくシャーシャーと言いながら詩織は距離を詰めていく。
「これは~困った~。みそらん早く来て~」
「はわぁわぁ~ゆかちー助けてよー」
「捕まえましたわ!」
「ぎゃぁあああーーー」
こうして、ルナカフェフォルテシモのいつもの日常に愉快な仲間が一人増えることになり、こうして新たに始まったいつもと同じ日常は、木漏れ日のように暖かく、賑やかな色を輝かせるようになっていった。